2014年07月30日

情念の凍結/高橋佳隆の初作または初期作こけし

先週末は約一ヶ月ぶりに休みを取って 「東京こけし友の会」 7月の例会に参加しました。
同会の入札で入手した、高橋佳隆さん初期作こけし8寸です。(おそらく昭和37年たつみ頒布品)
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子供の玩具らしい稚拙さと素朴さが満ち溢れた、新鮮な魅力のある描彩及び木地形態は、師・高橋忠蔵さんの作風と似ており、『木の花』 6、7号で俵有作氏が表現した ”情念の凍結” の観念に近いものを感じさせられます。同書では主に廃業や休業から復帰したこけし作者の初作が一様に素晴らしい出来栄えになる理由が述べられてます。自分ならばああも描ける、こうも描いてみたい、という佳隆さん独自の鯖湖こけしのイメージを頭で抱きながらも未だ面描が許されなかった弟子時代。その凍結された情念が氷解した瞬間...エネルギーを蓄えた休火山が爆発したような状態のもとで、目をみはるような見事なこけしが生まれました。
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「下手は上手」というこけし蒐集家の求めに対して、日々腕を磨いて左右対称に描かれた綺麗なこけし作りを目標とするこけし作者。両者の間の温度差と表現したらよいのでしょうか。時代の流れや生活、道具の変化、こけしに優劣をつけるコンクールの存在など、こけしの表情や作風の時代における変遷には複合的な要因が考えられますが、時代が大正から昭和に移行してこけしが大人の鑑賞物となった頃から現在に至るまでこの葛藤乃至ジレンマは依然と続いています。至極当然のことながら、高橋佳隆さんのこけしも初作から程なく時間の経過と共に上手で綺麗な普通のこけしへと変化していきます。「積年の想いが込められた初作と、思いを果たした後のいわばおこりの落ちたあとの次作からのこけしとには、明らかなる相違が認められるのである」 俵有作
同じ福島県飯坂温泉の鯖湖こけしに関する過去の例では、昭和15年頃、渡辺喜平さんは養母である渡辺キンさんのこけしの注文が入ると 「養母は目が悪く、こけしもとても下手で、人様に見せられたものではない。あんなものを売ると山根屋の恥になるから...」 云々という理由から、母の代わりに喜平さんが代筆した綺麗なこけしを蒐集家に送っていたそうです。例外的には、佳隆さんの師匠である高橋忠蔵さんは初期の作風を比較的キープし続けて、70歳を過ぎて再びピーク期を迎えます。
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『こけし辞典』によれば、高橋佳隆さんの初作は 「昭和三七年、初めて自描のこけしを製作、東京「たつみ」できわめて少数販売された」 とのこと。 同書には昭和37年製作のこけし写真も掲載されており、ここで掲載したものとほぼ同じ表情が確認できます。

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急ですが、今週末に山形県の肘折温泉まで旅に出かけます。柿崎伝蔵、藤五郎に始まり、奥山運七、佐藤周助、現在の鈴木征一さんまで連綿と続く木地屋の系譜、かの最上木工所(尾形商店)跡は現在どうなってるのでしょうか、今も旧家の軒下を探すと古いこけしや木地玩具が出てくるのでしょうか、こけしの歴史を語る上では避けて通ることの出来ない肘折温泉の初来訪に、古い肘折こけしの資料を眺めたりしながら今からワクワクしています。


jetlink_roki at 21:56│カテゴリ_01:玩具/kokeshi&toys